インドネシア 財閥

インドネシアの華麗なる一族たち 〜ジャルム(前編)〜

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ここ数年、インドネシアの富豪番付1位を守り続けているのがハルトノ兄弟です。兄がMichael Bambang Hartono(マイケル・バンバン・ハルトノ)、弟がRobert Budi Hartono(ロバート・ブディ・ハルトノ)です。

 
父親の名はOei Wie Gwan(オエイ・ウェイ・グワン、不明~1963年)。1925年、中部ジャワのレンバンでCap Leoと呼ばれる花火を製造していましたが、日本軍に追放されスマランの西にあるクドゥスに移動。そこで1951年にPT Djarum(ジャルム)を設立し、たばこの製造販売を始めました。レコード針にちなんで名づけられたジャルムは、クドゥスのブティンガンバル通り28番地(現在のヤニ通り28番地)にて、たった10名の小さな会社として始まりました。前回登場したスドノ・サリムもクドゥスでたばこを売っていたことがありますが、たばこビジネスは後にとんでもなく大きな市場に成長します。JTインターナショナルの調査では、2013年3000億本が販売され、東南アジア最大の市場となっています。

 

ジャルムは1998年の通貨危機以降、多角化に成功し、ホテル・不動産事業、エレクトロニクス事業、銀行業、パーム農園事業などを展開していきました。特に有名なのが、インドネシア最大級のショッピングモール「グランドインドネシア」とインドネシア民間最大手のバンク・セントラル・アジア(BCA)の経営権を取得したことです。こうしてジャルムグループとなった巨大財閥は、兄のマイケルが会長、弟のロバートがCEOとなりマネジメントされています。そして、各ビジネスには兄弟の投資会社から出資する形がとられています。

 
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左からオエイ・ウェイ・グワン、ロバート・ブディ・ハルトノ、ヴィクトール

 

ロバートには3人兄弟の息子たちがいます。長男はVictor Rachmat Hartono(ヴィクトール・ラフマット・ハルトノ)、次男はMartin Basuki Hartono(マーティン・バスキ・ハルトノ)、三男がArmand Wahyudi Hartono(アルマンド・ワシュディ・ハルトノ)です。3人はジャルムグループの核となることを期待されており、それぞれ役割が分かれています。長男のヴィクトールはジャルムのCOOと社会貢献に使われるジャルム財団の管理を任されています。次男マーティンはジャルムグループの次なる事業を見つけるべく、新規ビジネス担当としてインターネット産業に力を入れています。そして三男アルマンドは、米国で投資銀行を経験し、最年少でBCAの取締役に入閣しました。

 

アルマンドはインドネシア一の大富豪の息子であるにも関わらず、非常に謙虚な性格だと知られています。ビジネスの原則はいかに支出を抑えて将来の予期せぬ事態に備えるか。そして、余ったお金は将来のために投資してくということをあるインタビューで語っています。そして、父親であるロバートも息子たちの鏡となる存在です。他の大富豪がリムジンを使っていても、トヨタのランドクルーザーに乗り、携帯電話もダイヤなど派手な装飾を好まず、ブラックベリーの初期モデルを長く使っています。食べ物の好き嫌いは無く、大食いはしない。ゴルフ嫌いで、趣味は仕事、仕事、仕事。他の大富豪とは一線を画した存在であり、ビジネスだけでは無く、その性格はしっかり子供に受け継がれていくのです。

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