インドネシア 外食産業 市場調査

なぜインドネシアの外食産業が今アツいのか? 〜インドネシアの日本食の歴史〜

2010年以前にももちろんインドネシアに日本食レストランは存在していた。ジャカルタに初めてできた日本食レストランは1969年にオープンした「菊川」と言われている。1969年はジャカルタ日本人学校が開校した年で、その後渡航の自由化と経済発展を背景に日本人の居住が増えていき、在住の日本人のために日本食レストランの数も増えていった。1970年代には、筆者が調査できた範囲だと「よしこ」「鉄板焼きレストランしま」「蘭」「浜レストラン」などがオープンしていった。

2015年1月に筆者撮影「菊川」外観
2015年1月に筆者撮影「菊川」看板

1980年代に入ると、多店舗展開する日本食レストランが登場してくる。1981年に1号店をオープンさせた「Taichan Ramen(たいちゃんラーメン)」は、ジャカルタのショッピングモールやオフィスビルへの出店を中心に、1995年には10店舗まで拡大するまでになっていた。たいちゃんラーメンはインドネシアで初めて日本式のラーメンを提供したお店として知られている。ちなみに筆者がインドネシアに来て初めて口に入れたのは、たいちゃんのしょうゆラーメンであった。

80年代には日本人が関わっていない、インドネシア人だけでつくられた日本食レストランも登場した。日本食を使ったファーストフードを研究していたHendra Arifinが1985年に創業したHoka Hoka Bento(通称HokBen)である。HokBenは現在宅配専門店も含め350店舗以上展開しているが、オープン当初は宅配スタイルでは無く、店内で食べられる形態が中心であった(日系企業との関係は現在調査中)。

ジャカルタのKebon Kacangにできた「Hok Ben」1号店
Hok Benのホームページより

80年代後半には、焼肉が登場する。インドネシア初の日本式焼肉専門店は1988年にオープンした「炭火菴」と言われている。その1年後の1989年、焼肉としゃぶしゃぶの食べ放題を提供する「Hanamasa」がオープンする。現在進出元の「肉のハナマサ」の運営会社、株式会社花正は、株式会社ジャパンミートの傘下となっているが、進出当時は創業ファミリーが会社を動かしていた。インドネシアのHanamasaは現在20店舗以上展開しており、All you can eat(食べ放題)の走りとして、大きく成長を果たした。

1990年代の通貨危機、スハルト政権交代を挟み、2000年代、日本食市場はまた新たな進化を遂げていく。2000年代に入るまでは、ファーストフードのジャンルに入るHokBenは別として、日本食レストランは主に日本人をターゲットにしているところが多かったが、2003年オープンの「Ramen38」と「Suhi Tei」、2004年にオープンした「Takigawa(滝川)」が、一気にインドネシア人に浸透する立役者となっていく。

多店舗展開に成功した日本食レストラン

  • Taichan Ramen(1981):ラーメン、和食全般
  • Hok Hok Bento(1985):弁当
  • Hanamasa(1989):焼肉、しゃぶしゃぶ
  • Ramen38(2003):ラーメン
  • Sushi Tei(2003):寿司
  • Takigawa(2004):和食全般

先ほどご紹介したたいちゃんラーメンは、1号店はラーメンが店名に入っていたものの、基本的には「Taichan Japanese Restaurant」という日本食全般を扱う業態で拡大していった。いわゆる日本のラーメン屋に近い形で成長していったのはラーメン38である。38ラーメンでは、辛い料理を好むインドネシア人のために、Enma Ramen(閻魔ラーメン)やJigoku Rame(地獄ラーメン)などが用意され、辛さのレベルも選択できる。

Sushi Teiは回転寿司をインドネシアに広めた存在であるが、38ラーメン同様インドネシア人に好まれる商品を多く提供している。例えば、サーモン大好きインドネシア人のために、サーモンを使った料理が非常に多い。巻き寿司だと、炙りサーモンロール、サーモンチーズロール、サーモン親子ロール、サーモンえのき天麩羅ロール。握りだと、通常のサーモン、炙りサーモン、明太(マヨ)サーモンなど、凄いバリエーションである。ちなみに、Sushi Teiは設立に日本人が関わっている本部がシンガポールのフランチャイズである。インドネシアでも日本人の板前さんが勤務し、品質が保たれている。

一方Takigawaは日本人が関わっていない。オープン当時、他の日本食レストランからインドネシア人シェフを7人引き抜いたというインタビュー記事を見つけたのだが、引き抜きの良い悪いは置いておいて、インドネシア人向けの日本食を作るのには良かったのだと思われる。事実、Takigawaはインドネシアの芸能人やセレブが多く来店していた。

筆者はこのように日本食が広まっていく土台があっての、2010年代以降の日本食ブームに繋がったのだと考えている。

日本食ブームのきっかけの一つとなったのが、2011年の「博多一幸舎」の進出である。当時、豚骨ラーメンで進出などあり得ないという考えが常識であった。それを見事に打ち破ったのが博多一幸舎だ。中華系インドネシア人が多く住んでいる北ジャカルタの路面店に1号店を構えた博多一幸舎はオープン当初から人気を博していた。博多一幸舎の大ヒットで、その後どんどん日本のラーメン店が進出することとなる。

2018年末までに日本から進出を果たしたラーメン店/油そば店

  • らーめん まる玉(2010年5月)
  • 博多 一幸舎(2011年6月)
  • 博多ラーメン鶴亀堂(2012年1月)
  • らーめん山頭火(2012年5月)※既に撤退
  • ラーメン凪(2012年9月)※既に撤退
  • 筑豊ラーメン 山小屋(2012年9月)
  • 東京 田ぶし(2012年9月)
  • 麺屋 桜(2013年11月)
  • 東京豚骨拉麺ばんから(2014年4月)※既に撤退
  • 一風堂(2014年10月)
  • 油そば専門店 山ト天(2015年2月)
  • 最強濃度らーめん「ばり馬」(2015年4月)
  • らーめん神戸(2015年6月)※既に撤退
  • 清六屋(2015年10月)
  • 麺屋こころ(2017年6月)
  • 麺屋武蔵武骨(2018年4月)
  • フジヤマ55(2018年7月)
  • 麺屋 帆のる(2018年11月)

まる玉ラーメンは博多一幸舎より先に進出していたが、鶏白湯がメインである。他に鶏白湯で勝負しているのは清六屋と昨年オープンしたハラルラーメンを提供する麺屋帆のるである。

もちろん日本からの進出だけで無く、「38ラーメン」「415(よゐこ)」「Echigoya Ramen(越後屋)」「俺ん家ラーメン」など、現地で日本人が関わったラーメン店や、インドネシア人が始めた「Ikkudo Ichi(一喰堂いち)」「Ramen Ya」「SOBO Ramen」「Yoisho Ramen」「Kokku Ramen」など挙げればきりが無い程の出店ラッシュで、近年ジャカルタラーメン市場は競争が激しくなってきた。

また、市場サイズが大きくなるだけでなく、2015年に進出を果たした「油そば専門店 山ト天」によって、一気に油そば/まぜそばに火が付き、他のラーメン店でも油そば/まぜそばを取り扱う店が2015年以降一気に増え、ラーメン市場は形を変えながら拡大している状況である。

日本食の歴史と言いながら後半はラーメンに偏ってしまったが、今後もっと歴史研究して発表していきたい。

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