前回の記事から、なぜインドネシアの外食産業が今アツいのか?について書かせて頂いているが、
- 現時点で市場が伸びている
- 将来も伸びる可能性が高い
- とは言えまだ空いているポジションがある
の最重要項目3について、本日はオリジナル業界マップを使って解説して行きたい。
なお、ルピア円レートは100円=12000Rpで統一している。
まず、インドネシア外食産業No.1企業であるが、米国Yum! Brands, Inc.(ヤム・ブランズ)が保有する「ケンタッキーフライドチキン(KFC)」のフランチャイズに加盟したPT Fast Food Indonesia Tbk(ファーストフードインドネシア)で、2017年の売上は5兆3026億84百万ルピア(約442億円)である。
続いて2位は、こちらもヤム・ブランズが保有する「Pizza Hut(ピザ・ハット)」のフランチャイズに加盟しており、今年インドネシア証券取引所(IDX)に上場を果たしたPT Sarimelati Kencana Tbk(サリムラティ・クンチャナ)で、2017年は 3兆271億ルピア(約252億円)の売上高であった。サリムラティ・クンチャナは今回の資金調達によって、2018年-2019年で合計124店舗の新規出店を計画している。124店舗のうち、25%は通常「ピザ・ハット・レストラン(PHR)」、75%は宅配専門の「ピザ・ハット・デリバリー(PHD)」だという。
第3位は、上場していないため正確な数字は分からないが、おそらくサリムラティ・クンチャナと並ぶ形で、米国マクドナルのフランチャイズに加盟するPT Rekso Nasional Food(ルクソ・ナショナル・フード)である。ジェトロの資料によると、2015年で209百万ドルと記載されているので、サリムラティ・クンチャナの規模と近い、もしくは上回っているかもしれない。
このトップ3に競合で勢いのある「Domino’s Pizza(ドミノ・ピザ)」と「Burger King(バーガーキング)」を合わせて米国五老星とカテゴライズさせて頂いた。1979年にKFCがオープンしたのを皮切りに、米国ファーストフードブランドが一気に進出し、フライドチキン、ピザ、ハンバーガーが、インドネシアの外食産業をガラリと変えたのである。このファーストフード進出の盛り上がりは、1998年以前のスハルト政権下と、それ以後で2つに分かれる。
■第一次ファーストフード進出ブーム
- KFC(1979)→628店舗
- ピザ・ハット(1984)→393店舗
- テキサス・チキン(1984)→59店舗
- A&W(1985)→250店舗
- CFC(1989)→258店舗
- マクドナルド(1991)→181店舗
- ウェンディーズ(1991)→13店舗
そして、アジア通貨危機、スハルト政権交替を乗り越えて、第二次進出ブームがやってくる。
■第二次ファーストフード進出ブーム
- ピッツァ・エクスプレス(2006)→19店舗
- バーガーキング(2007)→84店舗
- ドミノ・ピザ(2008)→130店舗
- モスバーガー(2008)→2店舗
- ファットバーガー(2009)→2店舗
- BonChon Chicken(2012)→11店舗
- カールスジュニア(2013)→12店舗
スペースの都合上、マップ上には書けなかったが、「A&W」と「カリフォルニア・フライド・チキン(CFC)」は店舗数で「マクドナルド」を超える規模を持っているので、少し説明したい。まず米国ハンバーガーチェーンのA&Wは、日本人にとって馴染みが無いと思いきや、なんと沖縄県のみで30店舗も出店しているのだ。インドネシアでは、250店舗以上展開しており、今年5月にニューギニア島パプワ州にも進出を果たしている。
CFCはIDXに上場しているPT Pioneerindo Gourmet International Tbk(ピオネリンド・グルメ・インターナショナル)が運営するフライドチキンのチェーンであり、2017年のCFC事業の売上は5058億38百万ルピア(約42億円)。ピオネリンド・グルメ・インターナショナルは1983年の設立当時、米国カリフォルニア州の「Pioneer Take Out(パイオニアテイクアウト)」のフランチャイズに加盟しての船出であったが、1989年にフランチャイズ契約を終了し、CFCを自社ブランドとして再出発したのであった、ちゃっかりカリフォルニアの名を入れて(笑)。そして、今や258店舗まで拡大するに至っている。
ちなみにピオネリンド・グルメ・インターナショナルは「スガキヤラーメン」を展開するスガキコシステムズ株式会社と合弁会社PT Pioneerindo Sugakico Indonesia(ピオネリンド・スガキコ・インドネシア)を設立し、今年5月にインドネシア1号店をオープンさせている。ラーメンの鶏白湯仕立てのスープは現地パートナー経由で調達できるので、非常に良いパートナーシップに見える。
第一次ファーストフード進出ブームを見てみると、やはり早期にオープンさせた企業が、それぞれのカテゴリーでトップを走っているようだ。
第二次ファーストフード進出ブームに関しては、店舗数がばらけているが、比較的多店舗展開に成功している「Pizza Express(ピッツァ・エクスプレス)」、「バーガーキング」、「ドミノ・ピザ」は、3社ともPT Mitra Adiperkasa Tbk(MAP)のグループ傘下である。MAPはインドネシア最大のタイヤメーカー、Gajatungal(ガジャ・トゥンガル)の創業者Sjamsul Nursalim(ジャムスル・ヌルサリム)が保有するグループであり、MAPを通してインドネシアのブランドビジネスを支配している。管理するブランドは、飲食はもちろん、ファッション、スポーツ、子ども用品と幅広い。また、そごうや西武など百貨店ブランドも持っている。このMAPが次の大きな変化を捉えていく。
次の大きな変化は、2000年代前半から訪れる、コーヒー革命であり、主役の4社を束ねて珈琲四天王と命名させて頂いた。その中でもやはり火付け役は、コーヒーチェーンの世界最大手、Starbucks(スターバックス)である。展開するのは先ほど登場したMAPグループである。コーヒー革命の特徴としては、MAP含め、CT CorpやLippo Group(リッポーグループ)など大財閥が入ってきている点である。CT Corpは、大手スーパーの「トランスマート(旧カルフール)」や、銀行の「バンクメガ」、テレビ局の「トランスTV」を持っており、リッポーグループは、金融から始まり、百貨店大手の「マタハリモール」や、不動産事業で「「リッポー・モール」リッポー・チカラン」「リッポー・カラワチ」などの開発を進めている。
財閥について詳しく知りたい方は、拙著のCT Corpについて書いた記事や華麗なる財閥シリーズなど参考にして頂きたい。
1社異色であるのが、インドネシア産コーヒーショップ「J.CO」だ。美容サロンで成功したJohnney Andrean(ジョニー・アンドレアン)がオーナーである。 彼は飲食分野において、J.CO以外にベーカリーの「Bread Talk(ブレッド・トーク)」にも挑戦している。ブレッド・トークはシンガポール企業のフランチャイズだ。海外からインドネシアに持って来ているわけだが、近年自社ブランドのJ.COをフィリピンなど国外に輸出しているインドネシア期待の星である。
インドネシアにコーヒー文化はもともとあったが、基本的に自宅や屋台で楽しむことがほとんどであったため、ただコーヒーを提供するのでは無く、コーヒーを楽しむ空間を提供したスターバックスは富裕層やビジネスマン層を中心に大いに受け入れられた。コーヒー豆の匂いがするお洒落な雰囲気で、おしゃべりやビジネスミーティングを行うという文化は、一気に広まっていった。スターバックススタイルのコーヒーショップは全て無料インターネットサービス完備である。
スペースの都合で入らなかった四天王以外のコーヒーショップも以下に記載しておく。
実は火付け役はスターバックスではあるものの、スターバックスができるの11年前にオープンし、現在100店舗まで到達しているローカルコーヒーショップが存在する。インドネシア国内のコーヒー豆流通の60%以上のシェアを持つPT Kapal Api Global(カパル・アピ・グローバル)が展開する「Excelso(エクセルソ)」だ。エクセルソは四天王程の爆発的な成長では無いが、前述のように100店舗まで到達し、グループ全体ではコーヒー豆の流通、インスタントコーヒーの事業が堅調のようである。
- Excelso(1991)→100店舗
- スターバックス(2002)→326店舗
- Bengawan Solo Coffee (2003)→30店舗
- J.CO(2005)→250店舗
- The Coffee Bean & Tea Leaf(2006年)→108店舗
- Anomali Coffee(2007)→11店舗
- KOI Café(2013)→26店舗
- Djournal Coffee(2013)→12店舗
- Caffe bene(2014)→5店舗
- Caribou Coffee(2015)→7店舗
- MAXX Coffee(2015)→84店舗
- サンマルク(2015)→3店舗
筆者がジャカルタに初めて降りたった2011年、「MAXX Coffee」を除くコーヒー四天王は、ショッピングモールに行けば必ずどれかは入っていた。特に高級系のショッピングモールに関しては、必ずと言って良い程スターバックスが入っていたと記憶している。ちょうどその頃、ショッピングモールで行列を作る飲食店があった。インドネシア人(特に富裕層)は、日本人のように並んでまで食べ物を食べようとは思わないので、非常に珍しい。その飲食店とは「吉野家」と「ペッパーランチ」である。2010年代から顕著になってきた和食ブームであった。