インドネシア 財閥

インドネシアの華麗なる一族たち 〜サリムとシナールマス〜

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■サリムグループ
同ランキング2位のサリムグループは、1997年のアジア通貨危機まで圧倒的1位に君臨していた大財閥です。創業者のSudono Salim(スドノ・サリム、1916年~2012年)は、福建省福清市の農家の3兄弟の次男に生まれました。中国名は林紹良(Liem Sioe Liong)です。1938年、兄に続いて叔父を頼りにジャワ島へ渡り、中部ジャワのクドゥスでタバコやコーヒー豆の商売を行い、商人としての道を歩み始めました。第二次世界大戦後は、オランダとの独立戦争で戦う軍への物資納入を通じて当時ディポヌゴロ師団司令官であった後の大統領スハルトとの人脈を築いていきます。1968年にスハルトが2代目大統領に就任してから約30年間、様々な国家プロジェクトの利権を手にし、グループを大きく成長させました。ところが、1997年のアジア通貨危機でグループは最大の危機を迎えます。

 

通貨危機により、グループの多くの企業の財務体質が悪化し、民間銀行最大手に成長したBCA(バンク・セントラル・アジア)を含む、多くの資産の売却を余儀なくされることとなりました。しかし、スドノの三男Anthony(アンソニー、中国名は林逢生)のもとで何とかグループ最大の危機は乗り切ります。そして、2013年2月、元々危機前に所有していた日産やスズキの現地合弁パートナーであるインドモービルの株式を買い戻して筆頭株主となり、また、BCAの株式も幾分か取得して復活を果たしています。

 

次のサリムグループのリーダーとして期待されているのが、アンソニーの三男であるAxton Salim(アクストン)です。アクストンは1974年生まれで、2002年にコロラド大学ボルダー校を卒業。その後、クレディ・スイスのシンガポール支店で経験を積み、2004年からサリムグループの中核企業インドフードに入社。2009年から現在に至るまでインドフードの取締役を務めています。
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左からスドノ・サリム、アンソニー、アクストン

 

 

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■シナールマスグループ

三大財閥最後は「シナールマスグループ」。創業者は、福建省泉州出身華人Eka Tjipta Widjaya(エカ・チプタ・ウィジャヤ、1923年~)で、中国名は黃亦聰(Oei Ek Tjhong)です。彼は9歳の時、インドネシアに渡ります。非常に貧しい家庭であったため、マカッサルにて小学校卒業後、15歳で砂糖やビスケットを販売するというビジネスをスタートさせていました。その後、彼は1970年にシナールマス社を設立し、一代でパームオイルやココナッツオイルなどの食用油、製紙、そして金融、保険、不動産などの事業も手がける大財閥を築き上げました。シナールマスグループは同族経営が行われており、子供たちはシンガポール、米国、カナダ、日本などに分かれて留学を経験した後、グループの各部門を担当しています。現在は、創業一家長男であり、紙パルプ事業を担当するTeguh Ganda Wijaya(テグー、1944年~)がグループのトップとなっています。

 

エカはたくさんの子供を残しており、ウィジャヤ家は非常に大きなファミリーになっています。Forbesの記事によると15人とありますが、それよりももっと多いという説もあります。前述のテグーが一族のトップとなっているものの、グループ最大の売上高を誇るパームオイル事業はテグーと14歳離れたFranky Oesman Widjaja(フランキー、1958年~)が担当しています。彼は日本への留学経験があり、青山学院大学に留学した後、パームオイル事業を担当し、さらに超高級ショッピングモールのプラザインドネシアの会長なども務めています。

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左から、エカ・ウィジャヤ、テグー、フランキー

 

 

エカの孫の世代ですが、既に頭角を現し、各部門の重要ポジションに就いています。ここでは3人の人物を紹介したいと思います。

 

-Fuganto Widjaja(フガント、1981年?~)
フガントはグループの鉱山開発事業を担当しており、PT Golden Energy Mines Tbkの社長、PT Sinar Mas Multiartha TbkとPT Dian Swastatika Sentosa Powerの取締役を担当し、昨年2015年はバクリー財閥とロスチャイルド財閥が対立しながらも共同運営されていたPT Berau Coal Energy Tbkを引き継き、同社CEOに就任しています。

 

-Michael Jackson Purwanto Widjaja(マイケル、1984年?~)
マイケルは、グループの不動産事業を統括するMuktar Widjaja(ムクタル、1955年~)の息子です。彼は2007年に当時23歳という若さでPT Bumi Serpong Damai Tbk(BSD)の副社長に就任しました。BSDはジャカルタ南西部に位置する新開発地域BSDシティの開発を行い、そこにはイオンがオープンしています。そして、2010年にはグループの不動産部門を取りまとめるSinar Mas Land(シナールマスランド)のCEOに就任しました。

 

-Jesslyne Widjaja(ジョセリン、1984年?~)
ジョセリンは、先ほども登場したパームオイル事業を統括するフランキーの娘です。彼女はシンガポール証券市場上場するGolden Agri-resources LtdのExecutive Director of Corporate Strategy & Business Development(事業開発兼経営戦略担当取締役)という重要ポストに、2014年3月から就いています。
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左から、フガント、マイケル、ジョセリン

 

Tbkは公開株式会社、上場企業を意味し、彼彼女たちはグループの複数上場企業を担当するという重要な役割を担っています。そして、まだまだ30代前半という若さです。

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