インドネシアプロダクト革命

前回の記事で、小さな飲食店や屋台でもGO FOODを使ってたくさんの人に販売し、人気店にもなれるという事例を紹介したが、本記事では飲食以外のカテゴリーにも広げて書いていく。飲食以外でも、小資本で商品化してたくさんの人に販売することが可能な時代なのだ。まさにプロダクト革命が今起きている。

 

 

筆者がプロダクト革命を目の当たりにしたのは2017年11月2日、同年できたばかりのショッピングモールPIK Avenueの1フロアを貸し切って行われた「Brightspot」というインドネシア最大級のフリマイベントである。Pop Up MarketやBazarをそのままカタカナにしても意味が伝わらないと思いフリマとしたが、要は自分で作った食べ物やコスメ、ファッションなどを販売する本気のフリマである。Brightspotは2009年から毎年開かれており、開始当初は23ブランドで3000人を集めていたのが、昨年は180ものブランドが出店し、来場者数は4日間で5万人を超えたようだ。その5万人の客層であるが、見た目は20代の若者が多く、皆オシャレに気を遣っており、セレブのような雰囲気を醸し出すような人もたくさん見かけた。彼ら彼女らが、まだ世間では有名になっていないブランドをたくさん購入して帰るのである。この熱気を見たとき、筆者はまさにプロダクト革命を肌で感じた。

 

 

仕掛け人はインドネシアのトップDJの1人にあげられるAnton Wirjono(アントン・ウィルジョノ)と、その家族や友人、計5人で構成される共同創業者たちである。

 

Brightspotの成り立ちを調べて見ると、アントンの人生経験が色濃く反映されていることがわかった。彼の最初の大きな学びは、1994年、米カリフォルニア州メンロー大学卒業後にチャレンジしたDJイベントである。アントンはイベント会場を借りて、自らDJパフォーマンスを行い、入場料を1人20ドル徴収し3000人を集めることでイベントを成功させた。この時アントンは自分が情熱を向けたものが収益に変わる様を見て、大きな喜びを感じたという。この成功体験に自信をつけ、インドネシアに帰国してからもDJの世界に進んでいく。

 

Brightspotが生まれた背景も、インドネシアのクリエイターの情熱を支援したいという想いがあったに違いない。Brightspot創業者メンバーたちは。2010年に300ものブランドを集めたセレクトショップ「The Goods Dept」をオープンさせるのだが、ブランドの85%はインドネシアの地元ブランドである。

 

アントンは地元ブランドの難しさをいくつか指摘している。

①地元ブランドはチープな印象がある
②有名にならなければ、ショッピングモールで扱ってもらうことはできない
③近年H&Mやユニクロが進出し、競争が激しくなっている 

 

それらの問題の解決方法がThe Goods Deptに詰まっている。まず、The Goods Deptが出店している店舗はショッピングモールの中でも、ハイクラスの部類を選定している。さらに、取り扱うブランドに関しては、質の高い革新的なブランドを選定。高級で高品質なイメージを印象付け、画一的なファストファッションと差別化をはかっていくというわけである。The Goods Deptが高級ショッピングモールに出店できているのは、アントンのDJとしての知名度とネットワークが活きていると本人も語っている。Brightspotに関しても、高級シッピングモールで開催しており、The Goods Deptと方向性は同じだ。

 

このBrightspotとThe Goods Deptが起こすプロダクト革命を通して、有名になった地元ブランドがある。

昨年のBrightspotにも出店していた「Public Culture」だ。

Public Cultureは2015年に立ち上がったインドネシアの地元ブランドであり、The Goods Deptで顧客の支持を得て、現在単独で路面店をオープンさせるまでに至った。さらに驚いたことに、アジアを中心に大人気のメンズファッションメディア「Hypebeast」にインドネシアの新鋭ストリートブランドとして、現在まで2度も記事に取り上げられている。筆者も愛読しているが、まさかインドネシアという単語が現れるとは思ってもみなかった。

 

飲食以外にも、成功事例が出始めたプロダクト革命。今後が非常に楽しみであるし、自らもこの波に乗りたいと強く思う。

 

最後に、Brightspotイベントで撮影した写真をいくつか紹介しておく。

 

 

冠スポンサーはGo jekのライバルであるGrab。

来場者が会場のフロアに上がって最初に目にするのは、駐車場にずらっと並べられた屋台スタイルの飲食店ブースたち。鳥の唐揚げや点心(ディムサム)、スナックやスイーツなど、ストリートフード系がほとんどであった。

駐車場を越えると、ゲートがありチケットを見せて会場に入ることができる。会場前には長い廊下があり、そこではコスメや小物が並んでいたり、その場の調理の必要が無いプリンやパンなども並んでいる。コスメに関しては、メイクアップ系、美容オイル、石鹸などが多い。

廊下から会場に入ると、中はほとんどがファッション系のブースで占められている。衣類はもちろんのこと、アクセサリー、靴、水着、サングラス、財布やカバンなど幅広く、衣類も女性用が多いと思いきや、結構男性用も見かけることができた。

全体的に飲食、コスメ、ファッションのカテゴリーに分けることができて、出展数の比率としては、飲食3:コスメ2:ファッション5であろうか。

大きなインスタグラムの風船。インスタグラムもプロダクト革命を後押しする重要なツールである。インスタグラム広告は個人でも利用できて、且つたくさんの人に商品をアピールすることができる。

インドネシア宅配革命②〜フードデリバリー市場編〜

ジャカルタの渋滞は世界最悪クラスと言われている。INRIX Global Traffic Scorecardの最新のデータによると、ジャカルタは世界1360都市のうち12位、アジアではバンコクに次いで2番目に渋滞が深刻だとされている。例えば、車で5km移動するだけで、1時間以上かかることもざらにあるのだ。人間の歩行スピードは一般的に4km/時と言われているので、ちょっと早足で歩いた方が速いくらいだ。筆者もGo-jek(ゴジェック)が出てくる前はスケジュール調整に非常に苦労した。しかし、今ではアプリで5分以内にバイクが飛んできて、5kmの距離も車の間をすり抜けて10-15分で到着させてくれて、非常に便利である。

 


ジャカルタの渋滞(筆者撮影)

 

前回ご説明したように、ゴジェックが運ぶのは人だけでは無い。

今回はゴジェックの中で最も利用されているサービスの1つであるGO FOODをご紹介していく。

 

GO FOODはゴジェックが初めてアプリをローンチして約3ヶ月後の2015年4月に、23カテゴリーに分類された15000のレストランを掲載してスタートした。提携では無く掲載としたのは、15000のレストランのうちのほとんどがゴーフード側が一方的に登録しただけだと思われるからだ。筆者も実際に複数の店舗から、古いメニューがずっと残っており困っているとの相談を受けたことがある。まさに力技である。

 

GO FOODが出てくるまでフードデリバリーサービスが無かったかと言えば全くそうではない。

インドネシアにはマクドナルド、バーガーキング、KFC、吉野家、ピザハットなどのファーストフード店がたくさん進出しており、もちろんデリバリーサービスを行なっている。インドネシアの外食産業関係者によるとピザハット路面店の売上の7割はデリバリーによるものだという。また、日本のほっかほっか亭とは無関係だが、地元企業が運営するHoka-Hoka-Bentoも弁当デリバリーを盛んに行なっている。

 


フードパンダのドライバー達(参照:JKTGO.com)

 

スタートアップ界でも例外では無い。

GO FOODが現れる前のフードデリバリー市場は、2011年にMichael Saputraが設立した「Klik Eat(クリックイート)」、2012年に進出した独ロケットインターネットグループ傘下の「Foodpanda(フードパンダ)」の2強であった。どちらも自社で宅配バイクを保有し、各レストランと提携を行なっていた。筆者も2013-2014年あたりはクリックイートを利用していた。理由は大戸屋の弁当が食べられたからである。忙しい時にオフィスまでしっかりとした和食を届けてくれるのは非常に有り難かった。両社ともレストランの数が非常に多かったと記憶しているが、調べてみるとピーク時は1000近くのレストランと提携を行なっていたようだ。しかし、2015年以降、力技のゴジェックは一気にフードデリバリー市場を支配していく。メインは乗客を乗せて運ぶことなので、圧倒的に生産性が高く、アイドルタイムの待機時間も必要が無い。そして何よりネットワークしているバイクの数が違うのだ。

 

結局フードパンダはGO FOODの波に押されて2016年10月にサービスを終了し、会社もクローズしてしまう。しかし一方でクリックイートの方は個人向けから法人向けに事業をシフトすることで息を吹き返している。法人向けだと発注単価を上げることができたり、営業担当がつくことでリピート率も上げやすくなるというメリットが考えられる。

 


2016年当時のBerry Kitchenの弁当(参照:Tribun News)

 

創業当初から法人を狙ったフードデリバリーも存在する。2012年にCynthia Tenggaraが設立した「Berry Kitchen」だ。彼女たちはジャカルタで働く500万人の会社員をターゲットとしている弁当デリバリーで、オンライン上で10種類以上の惣菜をカスタマイズして注文できるのが特徴だ。西ジャカルタに自社のキッチンとバイクを保有しており、毎日決まった時間に配送している。現在、有名シェフが考案した料理を取り揃えており、利用者を飽きさせないように工夫を行なっているようだ。他には創業2015年でジョグジャカルタ発の「Kulina」が最近ジャカルタで攻勢を仕掛けて来ている。KulinaはBerry Kichenと違って、キッチンやバイクを自社で保有せず、キッチンはパートナーを複数抱え、配送は外部の業者に委託している。筆者の知人でBerry KitchenとKulinaの両方から営業を受けているという会社もあったので、少しずつ競争が激しくなってきているのかもしれない。

 

話をGO FOODに戻す。

2015年4月に15000のレストランを掲載して開始したGO FOODであるが、2018年6月現在では12万5000まで拡大している。ユーロモニターが2010年に行った調査によると、インドネシアの飲食店の数(屋台は含まない)は19万8000店なので、正確に比較はできないものの相当な数であることはわかる。今では掲載店舗はマーチャントとして管理する体制ができつつあり、登録や掲載内容の変更などサポートチームが存在する。ただ、迅速に対応してくれるというのはとてもじゃないが言えない。筆者も最近登録の申請を行ったが、登録完了まで2ヶ月以上を用した。どんどん申請が増えているのかもしれないが、もう少し頑張って欲しいところである。

 

そのような登録がごった返すGO FOODであるが、ごった返すには理由がある。マーチャントの中で、一気に売上を上げて人気店にのし上がった事例や大儲けした事例が出てきており、その成功事例に続こうと飲食店が群がってきているのだ。ゴジェックは人気店をブログで紹介しているのだが、筆者が調査した店舗も含め、いくつか成功事例をご紹介する。

 

■TUBO

「TUBO」は飲食店にとって非常に重要な立地と価格の常識を打ち破った牛丼店である。まずTUBOの店舗があるPasar Santa(パサール・サンタ)は特に良い立地という訳では無く、筆者が最近訪れた際にも閑散としていた。パサールとはインドネシアの伝統的な市場という意味で、ここパサール・サンタは出店スペースの家賃を落とすことによって若者が集まり、賑わった時期もあったが今は静かである。次に価格であるが、パサールに訪れる人は所得が中間層より下の層で、1回の食事は1万ルピア~2万ルピア(100円~200円)が一般的。しかし、TUGUは55000Rp(約500円)の牛丼1本で勝負しているのだ。吉野家の牛丼ですら300円強という市場の中、これが何と1日100食以上売れているのだから驚きである。売上のほとんどはGO FOOD経由とのことだ。単純計算で500円×100食×営業日25日間=月商125万円である。しかも、人件費は月10万円程度度、家賃は年5万円程なので、材料費が高くついたとしてもとんでもない利益率である。

 

■Flipburger

インドネシアではマクドナルドやバーガーキングが既に多くの店舗を増やしているように、ハンバーガーは非常に人気である。そんな中、新しいハンバーガーとして登場したのが「Flipburger」だ。このお店はオープン当初からネット広告で集客し、店舗ではドリンク飲み放題、アイスクリーム食べ放題を用意するなどして、まず路面店で一気に火がついた。2017年初めに筆者も訪れたが、店内では長い行列ができていて、席も満席であったことを記憶している。このような長蛇の列があった場合に活躍するのがGO FOODである。当たり前だが、GO FOODであれば自らが狭い店内で長いこと並ぶ必要も無い。人気店にゴジェックドライバーが列をなすことはインドネシアでは既に日常の光景となっている。日本からPABLOが進出した時もそうだ。オープン当初は長蛇の列ができて、そこに緑のジャケットを着た人がたくさん並んだのだ。FlipburgerもPABLOもそうだったように、インドネシアで人気店を作る場合、いかに人気店に見せるかが重要である。

 

■Pizza Place

前述のハンバーガーと並んでインドネシアで人気なのが、ピザである。Pizza PlaceはNYC(ニューヨークシティ)スタイルのピザを売りにしているテイクアウト中心のピザ屋だ。店舗スペースは非常に小さく、席はカウンターのみの5席ほどしか無い。この小さなお店が月に何百万円も売るというのだ。Flipburgerもそうであったが、人気ファーストフード店が作った市場にスタートアップとして入っていく手法は非常に効果的に見える。インターネットが無かった時代は、マクドナルドやピザハットのようなのブランド力は強大であったが、今ではインターネットを使って顧客に直接アプローチしたり口コミを発生させることもできるのだ。このPizza Placeはオンライン上でのPRが非常にうまく行っており、NYCスタイルのピザというワードでいくつかニュース記事を発見することができた。また、店内とお店の入り口が非常におしゃれで、その場で写真をとってインスタグラムにポストする人がたくさんいるのだ。

 

■Toko Kopi Tuku

最後はドリンク系の成功事例である。この「Toko Kopi Tuku」、見た目は普通のコーヒーなのだが非常に売れているのだ。実際店舗に訪れると、ゴージェックのドライバーで溢れていた。そして驚いたのが、何とGO FOODで買える時間帯の制限を示した看板が立っていたのだ。ゴジェックドライバーで溢れて実際に店舗に来た人が買えないということだろうか。飲んでみると確かに味は美味しいし、価格は18000ルピア(約150円)で非常に安い。スターバックスが300円以上するので、味だけで比べると良いのかもしれない。このお店の火付け役は何とインドネシアの大統領Jokowiである。彼が来店したことは地元新聞でも記事になっている。


Toko Kopi Tukuに来店するJokowi大統領(中央)(参照:Liptan6)

 

このようにGO FOODができたおかげで、大きな資本を持たない小さな飲食店でも、人気店になって成功できる時代が到来している。大企業もうかうかしていられない。小さな飲食店が頑張ることによって、大企業もまた改善を重ね、切磋琢磨して社会が良くなっていく。それは非常に良いことだ。実際筆者自身も、このゴージェックが起こす宅配革命を目の当たりにして、フードトラック(移動車販売)の立ち上げを行なっている。今回紹介した事例を元にさらに研究を重ね、自身のフードトラックで検証を行い、それもまたシェアしていきたいと思う。

 

最後に告知をさせて頂きたい。

2018年6月現在、筆者はこの宅配革命を好機と捉え、ジャカルタでの料理学校設立を企画している。

来月7月からクラウドファンディングでの資金調達を考えており、共感、賛同頂ける方は是非支援をお願いしたい。

 

■インドネシア料理学校設立プロジェクトについて

https://startupcookingacademia.studio.design

インドネシア宅配革命①

最近インドネシアに行ったことがある人なら街中で緑のジャケットを着ているバイク運転手を見かけたことがあるだろう。彼らはタクシー配車サービスのGo jekかGrabのどちらかに属しており、アプリですぐ呼び出すことができる。前者のGo jekは今回ご紹介するインドネシア宅配革命の火付け役で、短期間で一気にインドネシアで知られるようになった地元企業である。本日は、そのGo jekの歴史を当時の市場背景を踏まえて書いて行きたい。

 

 

Go-Jekは2010年にNadiem Makarim(ナディーム・マカリム)によって設立された。ナディームは海外留学経験があり、米国ブラウン大学卒業後の2006年、大手コンサル会社のマッキンゼーに就職している。約3年間の勤務経験後、ハーバード大学にてMBAを取得。Go-jekは在学中にインドネシアで登記し、2011年から電話でバイクタクシー配車サービスを行うようになっていた。ちなみにGo jekという名前は、バイクタクシーの一般名称であるOjek(オジェック)に由来する。

大学卒業後は、Go-jekを細々と走らせつつも、ファッションECのZalora Indonesia立ち上げにマネージングダイレクターとして参画する。Zaloraの在籍期間は1年も満たない短い期間だったが、その後インドネシアのスタートアップ環境に身を置きながら、大きな変化を目の当たりにしていく。

 

筆者が初めてインドネシアの首都ジャカルタに降り立ったのは2011年11月だった。その頃はIT起業ブームで、いたるところでスタートアップのカンファレンスやピッチが行われていた。10代20代の若者が自分達でサービスを作り、目をキラキラさせてそのサービスの強みを説明する。当時海外からの出資やM&Aが相次いでおり、2010年5月にインドネシア版Four Squareの「Koprol」を米ヤフーに売却、2011年4月にインドネシア版グルーポン「Disdus」がサービス立ち上げから1年も経たずに本家グルーポンに売却など、皆が一攫千金事例を目指しているように見えた。(その頃の起業ブームやDisdusについては、2014年の記事に少し書いている)。当時グルーポン系も多かったが、EC系、メディア系、ゲーム系なども多く立ち上がっていた。しかし、ナディームは単なる海外サービスのコピーでは無く、インドネシアに根付いたオジェックへのこだわりを持って進んでいく。

eMarketerと筆者が独自に入手したデータを元に作成

 

IT起業ブームが落ち着きを見せ始めた頃、インドネシアのスタートアップ界ではスマートフォンの爆発的な普及が注目されていた。特に2014年、4000万台あたりを超えた頃であろうか。少し景色が変わって来た。自分の周りでもスマホを使う人が増えて来て、Clash of ClansやCandy Crushなどの海外ゲームアプリをプレイしたりしていた。ゲーム以外ではメッセンジャーが良く使われるアプリであったが、メッセンジャーは少々複雑で、Black Berry端末で、Black Berry Messenngerを使っている人が多く、2013年の7月段階ではまだスマホの約半数はBlack Berryであった。そこからAndroidが一気に攻勢をかけ、さらにBlack Berry自身がAndroid端末でメッセンジャーアプリをローンチしたこともあり、1年後にはAndroid端末がスマホの約半数のシェアを獲得するまでになっていた。

 

 

そんな勢いづくスマホ市場を見てか、2014年8月、タクシー配車アプリを手がける世界最大手の米Uberがインドネシアに進出を果たす。2010年に配車サービスを開始したUberは、当時ヨーロッパ、インド、アフリカに市場を拡大し、インドネシア進出の前月には中国進出にも進出しており、海外攻勢を強めているところであった。そして、当時のUberの評価額は170億ドルに達していた。ナディームはこのUberの進出をどう見ていたかわからないが、スマホの普及からUberの進出で、配車アプリの可能性を感じていたに違いない。Uberの進出から5ヶ月後の2015年1月、Go-Jekはスマホアプリをローンチしたのだ。

 

 

アプリローンチの時点で、人を乗せて運ぶサービス(後のGO-RIDE)以外に、物を運ぶサービス(後のGO-SEND)と運転手に買い物を依頼するサービス(後のGO-MART)も同時オープンさせている。Uberタクシーにはできないバイクタクシーならではのサービスである。そして、2015年内に食べ物を運ぶ「GO-FOOD」、大きい荷物を運ぶ「GO-BOX」、マッサージ師を運ぶ「GO-MASSAGE」、メイクアップアーティストを運ぶ「GO-GLAM」、清掃員を運ぶ「GO-CLEAN」、バス停まで乗客を運ぶ「GO-BUSWAY」など全てGO-〇〇で統一された全9サービスを稼働させたのだ。そして、2016年にはUberの競合となる「GO CAR」もローンチさせている。

 

では、利用数はどうだろうか。アプリローンチから1年後の2016年1月の実績は、なんと1050万回の予約がされているというのである。1日34万回のという計算だ。

 

もちろんバイクタクシー配車市場をGo-jekが1社で独占していた訳では無い。最大のライバルは冒頭にも登場したソフトバンクも出資するGrabというマレーシア発の企業で、2015年5月にGrabBikeでインドネシア進出を果たしている。他にはインドネシアタクシー最大手のBlue Birdが始めた「Blu-Jek」、ユニークなものだと女性専用の「LedyJek」、イスラム教女性専用の「OjekSyari」など少なく見積もっても10社以上の類似業者が参入しており、2015年はインドネシアバイクタクシー業界が活発に動いた1年であった。

 

そして2016年8月、Go jekは5億5000万ドルの資金調達を行い、評価額は13億ドル以上とのニュースがスタートアップ界を駆け巡る。資金調達2ヶ月前の6月、ナディームへのインタビューによると、Go jekの運転手はインドネシア国内で20万人、1ヶ月の予約件数は2000万回以上とのことで、半年で予約件数を2倍に成長させていたのだ。調達金額はともかく、世界の投資家から大きな期待を得るのも頷ける成長である。

 

その後も快進撃は続き、アプリローンチからの2年後の2017年1月、アプリダウンロード数3300万達成。大雑把に計算するとインドネシア人の2人に1人はGo jekのアプリをダウンロードしていることになる。

2017年5月には中国のインターネット巨人 Tencent(騰訊)から13億ドルを調達、評価額は30億ドルに。今年2018年には前回前々回の記事に登場したインドネシアNo.1企業アストラやジャルムなどから15億ドルを調達。

 

そして現在。2018年6月時点でのGo jekのWEBサイトには30万人の運転手と契約しているとある。実際に30万人という数字を見なくても、緑のジャケットを着たGo jekドライバーはジャカルタの街に根をはり、大統領も言うようにGo jekは市民にとってなくてはならない存在になっている。

 

 

このGo jekのサービスの中でGo jekが最も力を入れているサービスの1つが、GO FOODである。GO FOODはレストランやカフェなどの法人や屋台を運営している個人がマーチャントとしてGO FOODに登録し、アプリ利用者がドライバーを通してマーチャントの商品を注文できるサービスだ。実は、そのマーチャント登録数が現在12万5000を超えており、マーチャントの中では月100万円を超えるような売上を叩きだす小さなお店が出て来ているのだ。次回は、このGO FOODが活性化させるフードデリバリー産業に焦点を当てて、成功事例を紹介していく。

インドネシアの華麗なる一族⑤

ウィリアムの父、Tjia Tjoe Bieは中国からインドネシアの西ジャワ州マジャレンカに辿り着き、6人の子供をもうける。

 

長女:Tjia Heng Hwa(Agustien) 

長男:Tjia Kian Liong (William Soeryadjaya)

次女:Tjia Sioe Hwa

三女:Tjia Tjoey Hwa(Budiarti) 

次男:Tjia Kian Tie 

三男:Tjia Kian Joe(Benjamin Suriadjaya)

 

1922年12月20日、Tjia(チア)家の長男として生まれたのが、後にウィリアムを名乗るTjia Kian Liong(謝建隆)である。

 

それぞれ中国名が名付けられたが、独立後のインドネシアにおいて、中国語名はビジネスをするにも生活をするにも難しい部分があり、カッコ内の名前を名乗るようになっていく。カッコが付いていない名前に関しては不明で、判明したものだけ記載した。

 

ちなみに、Tjia Sioe Hwaはバドミントン選手のHans Anwarと結婚し、その間に生まれた娘Jane Anwarは、インドネシア伝説のバドミントン選手Rudy Hartono Kurniawan(ルディ・ハルトノ)と結婚している。ハルトノは1966年、弱冠16歳でデビューした天才少年で、全英選手権男子シングルスを1968年から7連覇を果たし、1975年に決勝戦でデンマークの巨人のSvend Pri(スベン・プリ)に初めて敗れるが、翌年また復活優勝を果たし世界を驚かせた。さらに、妹のUtami Dewi Kinard(ウタミ・デウィ)も凄いバドミントン選手で、世界各国の大会で優勝し、1972年のミュンヘンオリンピックでは日本の中山紀子に次いで銀メダルだった。

 

ウィリアム、Kian Tie、Benjaminの男三兄弟の方は、1957年、Kian Tieの友人Lim Peng Hongを加えて、PT Astra Internasional Inc(アストラインターナショナル)を設立する。アストラはギリシャ神話のAsteraからKian Tieが名付けた。そして、グローバルな会社を目指すためにインターナショナルと付け加えられた。

 

創業の地Jl. Sabang No.36 Aにあるオフィス前にて

 

アストラの大躍進のきっかけは、トヨタとの提携である。

 

創業して約10年間は食料品や日用品などあらゆるものを国外から輸入して販売する貿易事業であったが、初代スカルノ大統領から2代目スハルト大統領に変わる政変の最中、アストラにも転換期が訪れる。当時、スカルノ政権末期に悪化していた経済を立て直すべく、スハルト新政権は経済重視政策に移ろうとしており、インドネシア進出を目論む日米自動車メーカーに対して、政府は「完成車の生産(組み立て)を国内で行うこと」および「販売を国内代理店を通して行うこと」という二つの条件を出していた。これを転機と捉えたウィリアムは、即座に銀行から借り入れを行い、オランダ植民地時代のゼネラルモータースが所有していた自動車組立工場の買収を行った。そして、インドネシア政府との合弁で1969年2月25日にPT Gaya Motor(ガヤ・モーター)を設立し、さらに借り入れを追加して工場の修復まで行った。

 

あとは誰と組むかであるが、ウィリアムはゼネラルモータースに対して自信を持っていた。以前彼らからシボレーのトラック800台を輸入して販売した実績があるからだ。だが、そんな期待も裏目に出てしまう。GMは1958年に輸入許認可第1号を出していたPT Garuda Diesel(ガルーダ・ディーゼル)をパートナーに選んだのだ。しかし、落ち込んではいられない。続いて日産の視察団が日本から来イするということで立ち会ったが、アストラの合弁事業案は受け入れられなかった。

 

この一大事に当時マレーシアに移住していたKian Tieも駆けつけ、彼の協力でインドネシア政府関係者にも会って打開策を探った。そんな中、貿易大臣のSoemitro Djojohadikoesoemo(スミトロ・ジョヨハディクスモ)から吉報が入る。トヨタが、ガヤ・モーターに興味を持っているというのだ。トヨタは1968年にトヨタ自動車販売ジャカルタ駐在員事務所を設置し、現法設立準備を進めており、なんとトヨタのアジア・オセアニア担当責任者である神尾秀雄は日本植民地時代にガヤ・モーターの工場の元マネージャーであった(当時日本軍がトヨタに工場の経営を委託していた)ことからの問い合わせであった。神尾氏は当時社長であった豊田英二の懐刀として海外事業を進めた重要人物である。

 

神尾氏との交渉も上手く行き、ついに1969年7月、アストラはトヨタとMoUの締結に至った。そして、1971年4月12日にPT Toyota Astra Motor(トヨタ・アストラ・モーター)の会社登記、同年12月15日に商業省から認可が下り、営業開始することができたのだ。初代社長はトヨタ側から小山善三が担当し、出資比率はアストラ51%(PT Astra International 36.2%、PT Gaya Motor 14.8%)、トヨタ49%(トヨタ自販24.5%、トヨタ自工24.5%)であった。

 

トヨタ・アストラ・モーター社営業開始時の記念写真。初代社長の小山氏(前列右から4人目)

 

トヨタとの提携をきっかけに、10人そこそこの無名の小さな会社であったアストラは、その後一気に拡大して行く。

 

1970年から5年間の売上成長率は2786%で、1976年にはグループ子会社9社で従業員を7352人も抱えるまでになった。売上も驚くべき数字であるが、特筆すべきは従業員数である。10年間でざっと700倍になっているのだ。しかも、ほぼ企業買収無しでである。当時学校教育環境が十分とは言えなかったインドネシアにおいて、この数字は奇跡としか言いようがない。

 

1969年 PT Gaya Motor設立 (トヨタの車両組立会社)

1971年 PT Federal Motor設立 (ホンダの車両組立会社)

1971年 PT Toyota Astra Motor設立(トヨタの販売会社)

1972年 PT Djaya Pirusa設立(エンジンオイル調達のため)

1972年 PT Inter Astra Motor Works設立(重機販売会社)

1974年 PT Multi Astra設立(車両組立会社)  

1975年 PT Rama Surya Internasional設立  (装置調達のため)

1976年 PT Astra Motor Sales設立(トヨタのディーラー管理会社) 

1976年 PT Astra Graphia設立(富士ゼロックスの販売会社) 

 

提携先はホンダ、コマツ、富士ゼロックス、ダイハツなど日系企業を中心に拡大していく。しかし、拡大の道はやはりいばらの道であった。インドネシア政府は、このアストラの自動車産業を中心とした成長をインドネシア成長の好機と捉え、数々の厳しい要求を突きつけていくことなるのだ。

 

まず1974年、政府は自走可能な完成した車両形態で輸入するCBU(Complete Build-Up)を全面禁止にすると共に、組立前の部品として輸入するCKD(Complete Knock-Down)の輸入形態を義務付け、それに加えて指定部品の現地調達義務化を行った。つまり、なるべくインドネシア国内で生産できるようにし、産業育成と雇用拡大を図ったのだ。トヨタの販売会社が設立されて、たった3年後のことである。そして矢継ぎ早に1976年、CKD輸入関税優遇を行うかたわら,一部のパーツに関して輸入禁止措置がとられた。この短い期間に、一気に国産化のプレッシャーが強まっていく。そしてついに1977年、政府の「カローラの3分の1の価格の車を作って欲しい」との要請に応え、トヨタはインドネシアの国民車となる「Kijang(キジャン)」を生み出したのだ。

 

1977年に発表されたキジャンの引き渡し式。運転席左にスハルト大統領。

 

じゃかるた新聞がトヨタ関係者に行った取材によると、コストを抑え、ブリキの戦車のようないでたちで窓ガラスも、外側のドアノブもない車に対して、日本本社では「こんな車にトヨタのマークは付けられない」とエンジンやトランスミッションの供給を断られたこともあったが、キジャンの生みの親、横井明は「必ずインドネシアのためになる」と説得したそうだ。

 

その後キジャンは1985年に生産累計10万台を達成し、1987年からはインドネシア国外へ年間200台輸出するまでに至っている。この短期間で、インドネシア発の国産車を作り、海外に輸出するまでに成長したのだ。

 

横井氏が考えていた通り、まさに「インドネシアのためになった」のである。

 

貿易会社として創業したアストラが、海外製品の販売代理店・組立工場として大きく成長し、国産製品を生み出せるまでに至った奇跡の大成長であった。

インドネシアの華麗なる一族④

ジャカルタ中心部に位置するスディルマン通りに、来月6月に開業予定のビルがある。

 

 

Astra Tower(アストラタワー)と名付けらているそのビルは、冠名にあるように、インドネシア最大財閥Astra International(アストラインターナショナル)の本社ビルである。自動車、金融、重機、鉱業、農園、物流、不動産など様々な事業を展開し、2017年の売上高は206兆570億ルピア(約1兆7170億円)、純利益は18兆8810億ルピア(約1570億円)を記録する。特にメイン事業の自動車は、2017年のグループ国内販売台数が57万9000台で、インドネシア国内のシェアは54%にものぼる。

 

しかし、このような強大な実績を叩き出すアストラインターナショナルだが、実は大株主はインドネシア人では無い。財務諸表を見てみると、Jardine Cycle Carriage Ltd(ジャーディンサイクルキャリッジ)が、50.11%の株式を保有と記載がある。ジャーディンサイクルキャリッジの株式の75%はJardine Strategic Holdings Limited(ジャーディン・ストラテジック)が保有。そのまたジャーディン・ストラテジックの株式を83.85%を保有しているのはJardine Matheson Holdings Limited(ジャーディン・マセソン)で、ジャーディン・ストラテジックとジャーディン・マセソンは株式持ち合い関係になっていた。

 

 

※ ※ ※

 

 

2016年2月、筆者は香港の地に降り立った。香港の地理は、主に3つの地域(香港島、九龍、新界)から構成され、人口は香港島北部の住宅地と九龍半島に集中している。特に香港島は、香港上海銀行・香港本店ビルや中国銀行タワー、国際金融中心などをはじめとする超高層オフィスビルやホテルが立ち並んでいる。そんな香港島を歩いていると、ある名称を何度も見つけることができる。

怡和大廈(英語名はJardine House)、渣甸橋(ジャーディン・ブリッジ)、渣甸街(ジャーディン・バザール)、渣甸坊(ジャーディン・クレセント)、渣甸山(ジャーディン・ロックアウト)。

 

 

ジャーディンとは香港で物凄い影響力があるようだ。

 

本日は、インドネシア最大財閥アストラとその株主のジャーディングループについて、もう少し調べていくことにする。

 

香港に話を戻す。

 

 

これはJardine House(ジャーディンハウス)である。

178.5メートル(地上52階建)の超高層ビルで、1973年のオープン当時、アジアで最も高いビルであった。

このビルの表示案内の48階に「Jardine, Mathewson & Co., Limited 怡和有限公司」という記載を見つけることができた。

おそらくアストラの財務諸表にあったジャーディン・マセソンのことであろう。

 

 

調べてみると、ジャーディン・マセソンは、イギリスに本社を置き(登記上はバミューダ諸島ハミルトン)、ロンドンと香港に上場している企業であることがわかった。米フォーチュン誌の世界企業番付上位500社の企業ランキング「フォーチュン・グローバル500」(2013年度版)では世界266位の世界的優良企業である。

 

設立の起源は今から170年以上遡ること1832年7月。創業者はスコットランド出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディンと、同じくスコットランド出身で当時中国広州(沙面島)でのアヘン投資で財を築いていたジェームス・マセソンの2人である。

 

ジャーディン・マセソンの創業者2人の名前が由来だったのだ。

 

2人が沙面島で作った貿易商、ジャーディン・マセソン商会は、イギリスの中国進出(当時は植民地時代であるので、侵略の方が意味としては近いかも知れない)に大きな役割を果たしている。1839年にイギリスと清との間にアヘン戦争が勃発。降伏した清政府は、南京条約に基づき香港島をイギリス政府に譲渡し、イギリス政府は香港島の北部にある銅鑼湾をジャーディン・マセソン商会に払い下げを行った。よって、前述の渣甸橋(ジャーディン・ブリッジ)、渣甸街(ジャーディン・バザール)、渣甸坊(ジャーディン・クレセント)など、銅鑼湾近辺にはジャーディンの名が多く残っているのである。

 

ジャーディン・マセソン商会は、1842年に香港島に本社を移動、1844年に中国の拠点も沙面島から上海の共同租界、外灘(バンド)に移し、貿易と海運業でどんどん事業を拡大していった。

 

ジャーディン・マセソン商会の事業拡大は、1854年に江戸幕府が締結した日英和親条約を機に日本にも及ぶ。

 

和親条約によって長崎港と函館港が開港すると、ジャーディン・マセソン商会は、1859年、上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック(ウィリアム・ジャーディンの姉の子)を日本に派遣した。そして、1860年代初頭に横浜居留地の1番地(旧山下町居留地1番館、現山下町一番地)に「ジャーディン・マセソン商会」横浜支店を設立。長崎でも、1859年9月19日に幕末・明治期の重要人物であるトーマス・ブレーク・グラバーがジャーディン・マセソン商会の長崎代理店としてグラバー商会を設立。グラバーは、長州五傑、五代友厚(薩摩)、坂本龍馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)等を支援した。

 

遠藤謹助(上段左)、野村弥吉(上段中央)、伊藤俊輔(上段右)、井上聞多(下段左)、山尾庸三(下段右)

 

彼らは長州五傑(長州ファイブ)と呼ばれ、駐日イギリス領事やジャーディン・マセソン商会の協力でイギリス留学を行い、留学中はジェームス・マセソンの甥にあたるヒュー・マセソン(ジャーディン・マセソン商会ロンドン社長)が世話役となった。

 

そして1868年、イギリス政府、ジャーディン・マセソン商会、グラバー商会が支援した薩長を中心とする倒幕側の勝利で、明治政府が発足することになる。さらにその後、急速に力をつけた日本は、1894年日清戦争で戦勝国となり、逆にイギリスを含む欧州列強を脅かす存在となるまでに至った。焦ったフランス、ドイツ、ロシアの三国は日本に圧力を与え(三国干渉)、ドイツは膠州湾、イギリスは威海衛、ロシアは旅順・大連、フランスは広州湾というように、列強4国はそれぞれ租借地を獲得していき中国は半植民地状態となって行った。

 

この中国(清政府)衰退の流れで、1900年前後に多くの華人が安息の地を求めて海外に渡っていくこととなり、インドネシアへもサリム、シナールマス、リッポー、ジャルムなどの財閥創業者の父親の代が当時中国から海を渡っている。アストラ創業者のWilliam Soeryadjaya(ウィリアム・スリヤジャヤ)の父親Tjia Tjoe Bieもその1人であった。

 

アストラについては以前インドネシアの華麗なる一族たち①で触れているため重複するが、次号改めてもう少し深いところまで書いて行きたいと思う。

インドネシアのネット広告市場に見るナンバーワン企業の法則

みなさん、「ナンバーワン企業の法則―勝者が選んだポジショニング」という本をご存知でしょうか?原題は「The discipine of market leaders」でマイケル・トレーシーさんとフレッド・ウィアセーマさんによって書かれたものを大原進さんが翻訳しています。アマゾンで検索してみたら、もう既に絶版になっており、中古で5000円ぐらいするんですね…。

 

ナンバーワン企業の法則

 

 

私がはじめてこの本に出会ったのは大学3年生の就職活動時期で、その後社会人3年目でもう一度読み直したきりでした。そして長い年月が経って、最近インドネシアのネット広告市場を説明する中で、本書に出てくるナンバーワン企業が選ぶ3つの価値基準が、しっくりくるので、このブログでもご紹介しようと思った次第です。

 

 

ナンバーワン企業の3つの価値基準とは?
1.    Product Innovation(プロダクト・イノベーション)
2.    Operational Excellence(オペレーショナル・エクセレンス)
3.    Customer Intimacy(カスタマー・インティマシー)

 

 

私は就職活動時期に、某IT企業のセミナーでこの3つの価値基準の説明を受けたのですが、凄く分かりやすかったので10年ちょっとたった今でも鮮明に覚えています。

 

プロダクト・イノベーションを発揮しているのは、例えばマイクロソフトやインテルのような新しいプロダクトを出し続けることで市場を圧巻している企業です。当時セミナー講師のK先生は「愚民どもよ、我らのプロダクトを使うが良い」という面白い表現をされていましたが、本当にそうは言っていなくても、それぐらい言えるような企業です。Google(グーグル)もそれに入りそうですね。

 

2つ目のオペレーショナル・エクセレンスを発揮しているのは、例えばマクドナルドです。K先生は、「高校生のアルバイト中心でも店舗がまわる仕組みを作ったことは素晴らしい。例えば銀行が高校生だけでまわるのか?」とおっしゃっていましたが、まさに卓越したオペレーション体制を築いている企業のことです。他には、質の良い家具を低価格で提供するオペレーション体制を確立させたイケアが入るのではないでしょうか。

 

最後に3つ目のカスタマー・インティマシーですが、例としてリッツカールトンホテルの名前をあげられていました。顧客の好みを記録して、顧客に驚きと感動を与え、親密な関係を築き上げる企業のことです。サービス業に多そうですが、ファッションブランドのエルメスも同じ商品を修理して長く使ってもらうという顧客関係を築くので、これに当てはまると思います。

 

 

では、これらをインドネシアのネット広告企業に例えるとどうでしょうか?

 

 

1.    プロダクト・イノベーション
こちらは本当に「愚民どもよ、我らのプロダクトを使うが良い」がぴったりなのですが、facebook(フェイスブック)とグーグルの広告のことです。フェイスブックはパーソナルデータを用いて市場を圧巻し、グーグルも検索連動型広告だけで無く、リマーケティング広告、ネイティブ広告、動画広告など網羅し、両社とも新しい広告機能をアップデートし続けています。東南アジアにおいても、その強さは目を見張るものがあり、APACのネット広告市場の51%は彼ら2社によって支配されているという調査データも出ています。あともう1社あげるとすればCriteo(クリテオ)社です。彼らはダイナミックリターゲティングというプロダクトで、インドネシアの上位EC企業のほとんどを顧客としています。フェイスブック(米)、グーグル(米)、クリテオ(仏)、みんな欧米企業ですね。

 

2.    オペレーショナル・エクセレンス
インドネシアにおいて、このポジショニングに関しては、日系ネット広告代理店が力を発揮しているように思います。前述のフェイスブックとグーグルの広告ですが、この広告を最適に運用するためのオペレーション体制を築く企業がいます。フェイスブック広告はターゲティングの設定技術だけで無く、バナーや動画などどういったクリエイティブを用意するかも重要です。ある日系広告代理店は、フィリピンにクリエイティブ制作部隊を作り、日夜ABテストで効果改善を行っていると聞きます。グーグル広告にしても、日々のキーワード設定もそうですが、目まぐるしく変わる広告機能やケーススタディの情報収集、そしてそれら新しい知識を現場の運用スタッフへの落とし込むオペレーションが非常に重要です。

 

3.    カスタマー・インティマシー
最後のカスタマー・インティマシーですが、インドネシアで儲かっていると言われているネット広告企業、デジタルーエージェンシーのほとんどがこのポジショニングをとっています。例えば、世界大手の広告代理店WPPグループやオムニコムグループ、日本の電通もそうですが、グループ傘下にデジタルエージェンシーやデジタル専門部署を持っており、このポジショニングで大きな売上を上げていると考えられます。外資系だけでなく、ローカル系も同じです。私は採用活動と情報収集のために、100人近くのマネージャーや営業担当とリンクトインを通じて会って来ましたが、みな口を揃えて顧客とのリレーションシップが大事だ、それがインドネシア独特のカルチャーだと言います。

 

 

もう少しインドネシア独特のカスタマー・インティマシーについて、お話しましょう。

 

 

私が会った100人近くのマネージャーや営業担当が言う顧客とのリレーションシップとは?

 

・毎日ワッツアップやBBMで、挨拶やジョークを送る
・たまにドーナツ持参でオフィスに訪問
・誕生日にはお祝いのメッセージとケーキを贈る
・クライアントの担当者が欲しいもの(例えば、靴とかコンサートのチケットとか)をプレゼントする
・○○を渡す

 

私の予測では、ざっくり約1000億円のインドネシアネット広告市場のうち、80%はブランディングを目指した広告活動で、ブランディング目的ですと、どのターゲット層に何のメッセージをどれぐらいのボリュームに届けるかが重要になってくるので、広告効果が測りづらく、差別化が難しくなります。ネット広告だと、指定のターゲティングでボリュームと予算を設定して終わりで、非常に簡単です。そこで、差別化要素として重要となってくるのが、前述の顧客とのリレーションシップです。(○○はここでは言えませんw)

 

個人的には、真の顧客は広告主では無く消費者なので、市場の競争が激しくなると、このモデルは長くは続かないと考えています。ただ、現状インドネシアの経済は成長していますし、とりあえず指定のターゲット層への認知度を上げておけば、ある程度成長は見込めるという状況です。

 

この顧客リレーションシップ活動によって、インドネシアでは100を超えるデジタルエージェンシーが存在しています。量産のロジックとしては、デジタルエージェンシーからの独立です。まずは、デジタルエージェンシーで経験を積んで、顧客リレーションシップを育てることができたクライアントを引き連れて独立するのです。複数社引き連れて独立することができれば、インドネシアは人件費が低いので、彼らにとって十分な利益を確保することが容易です。

 

 

最後に、アドウェイズはと言いますと…スローガンに「なにこれすげーこんなのはじめて」とあるように、なにこれすげーこんなのはじめてなプロダクトを作って、プロダクト・イノベーションに挑戦しています。

 

最近、立て続けに発表したすげープレスリリース
Bulbit、全自動マーケティングプラットフォーム「UNICORN」を正式リリース
アドウェイズ、Google社の「App Attribution Partner」に認定
~全世界対応のスマホ向け効果測定システム「PartyTrack」の連携を強化~
アドウェイズ、動画クリエイティブ大量生成ツール「Dobel」の提供を開始

インドネシアのモバイル市場2017

つい先日、アドウェイズインドネシアブログでインドネシアのモバイル市場インフォグラフィックの最新版、2017年版が更新されたので、こちらでもまとめておきたいと思います。

 

IMM2017

 

2016年は前年と比較して、インドネシアのモバイルマーケティング市場、モバイル広告市場において、そこまで大きな変化が無かったというのが個人的な感想です。もちろん、大きくはなくとも変化(成長)はあると思っています。インフォグラフィックにあるようにモバイル端末の普及台数は3億3000万台を超えるまでに増え、書かれてはいませんがスマホ普及台数も1億台まで届きそうなところまで来ていると言われています。実際にfacebook広告のスマホ端末ターゲティングをインドネシアでセットしてみると、既に9000万台を超える配信先が表示されます。

 

IMM2

 

スマホ普及台数の増加に合わせて、EC企業のモバイル広告投資も増加しています。インフォグラフィックには2016年に最もダウンロードされたECアプリのランキングがありますが、ここにある上位のEC企業の広告はよく見かけますし、個人的に実際のアクティブユーザー数もこのランキングに近いのではないかと思っています。

 

IMM3

 

そして、徐々にではありますが、モバイル決済も増えていると見受けられます。クリテオ社が発表したデータでは、インドネシアでは30%の決済がモバイル経由になってきたとありますが、某EC企業の方によると、2017年に入って約半数の決済がモバイル経由になっているとのことでした。

 

IMM4

 

一言で表すと、2016年は「よりモバイルシフトが進んだ」という年と言えるのではないでしょうか。しかし、冒頭に述べたように大きな変化とまではいかないと思うのです。そう思う一番の理由は、顧客単価の変化です。モバイルインターネットを通して、お金を払う人はもちろん増えているように見えるのですが、顧客単価に大きな変化(伸び)が無いように見えます。

 

 

例えば、分かりやすい例がモバイルゲームです。日本では、モンストやパズドラに課金しまくる人がたくさんいることでしょう。私は仕事柄多くのデータを見たり、人から話を聞きいたりしていますが、インドネシアで課金するのは、人口のわずかなパーセンテージを占める上位所得者で、ほとんどの人は無課金でゲームを楽しみます。そして、上位所得者層は、iPhoneを使っていることが多く、実際iOSの平均顧客単価は伸びているように見受けられます。一方、スマホユーザーの約8割を占めるAndroidの平均顧客単価はあまり変わっていないように見受けられるのです。

 

 

私は市場全体が大きく成長するためには、大多数を占める中間層の成長が不可欠だと思っています。(スマホを所持できる時点で下層では無いため、中間層より下の話は省きます)

 

 

例えば、私が持っている予測データを用いてご説明しましょう。インドネシアの1年間のAndroidアプリとiOSアプリの課金金額が200億円だとしましょう。AndroidユーザーとiOSユーザーの合計は8500万人とします。

 

 

私の感覚では、
Androidユーザー8000万人×平均顧客単価200円/年
iOSユーザー500万人×平均顧客単価800円/年
という予想です。

 

 

無課金ユーザーも人数に入れて平均顧客単価を算出しているので、説明が分かりにくいかもしれませんが、この年間200円しか使わない層が、単純に400円使えるようになれば、一気に360億円マーケットに成長します。ここまで成長すれば、私も大きな変化と認めざるをえません。ただ、現状この200円ユーザーが成長していないように見えるのです。アプリの課金金額はゲームがほとんどなので、この例はゲーム市場を使って中間層を説明したような形ですが、ECにおいても近い状況が起きているように思うのです。完全に私の予測です。もっと言うと、インドネシア経済全体とすら思ったりもします。中間層である200円ユーザーは、ローンで車とかバイクを買って、家賃も払って結構ギリギリの生活です。お金持ち800円ユーザーは、オーナービジネスや不動産投資など野心を持って資産を増やして行きます。華僑系の方が多いです。結構みんな海外留学をされていたりします。

 

 

野心的、華僑という言葉出てくると、今度は多様性の国インドネシアの歴史的背景の話にそれて行きそうですので、本日はここで閉めたいと思います。

 

 

まとめると、「インドネシアのモバイル市場は爆発的に成長しているというわけではないと思う。でも、結構モバイルシフトが進んでいる。しかしながら、そもそも中間層が成長しなければ、国全体としてマーケットの成長が厳しいのでは?」というお話でした。

 

 

最後に、これはあくまで現状までの市場データを見て、個人の予測と感想を述べただけに過ぎませんので、現時点で私の知らない市場爆発が始まっているかもしれません。それはそれで嬉しいです(笑)。ただ、着実に少しずつでも、日々前を向いて前進していると感じています。インドネシア!

インドネシアのハイセンスなローカル外食企業

前回はインドネシアに進出する大手外食企業についてまとめました。
本日は、ローカル企業で特にハイセンスな外食企業に絞ってご紹介したいと思います。インドネシアではオシャレで雰囲気の良いレストランがたくさんあり、地元のセレブや欧米人に大人気です。

 

 

1.    ISMAYA GROUP

ismaya

まずご紹介するのが、ISMAYA GROUPです。
インドネシアで数々のハイセンスなレストラン、バー、ラウンジを生み出した先駆者的な存在です。創業は2002年で、Christian Rijanto、Brian Sutanto、Bram Hendrataの3人が共同創業者として事業を開始し、2016年現在、15ブランドの32店舗、2000人近くの従業員を有する大企業となりました。飲食店以外にもイベント企画事業を手掛け、ケイティ・ペリーなど人気ミュージシャンを海外から誘致し、インドネシア最大級のダンスミュージックDjakarta Warehouse Project(通称DWP)や、バリ島で開催されたUltra Baliなど、インドネシアで国際的な音楽イベントが開催できることを証明してきました。

 

私もISMAYA GROUPの店舗は頻繁に使わせて頂いており、特にインドネシア国外からゲストが来ると、BCAタワーの56階にあるルーフトップバー「SKYE」にはよく案内します。ジャカルタの街を見渡せる絶景スポットです。また、最近ですとSampoerna Strategic Squareタワーの1階にあるGIAによく行くのですが、毎週木曜日にワイン飲み放題メニューがあり、天井が高くて素晴らしい雰囲気のレストランで、ワインをがぶがぶ飲んじゃうことができます。

 

 

2.    PTT Family

ptt

続いては、ジャカルタを拠点にレストランやホテルを展開するPTT Familyをご紹介します。バリ島に旅行したことのある方だと、ポテトヘッド(Potato Head Beach Club)という名前を聞いたことがあるかもしれません。昼も夜も凄く雰囲気の良いビーチクラブで、バリ島のおすすめスポットの1つです。

 

PTT Familyのスタートは2009年で、経営を担当するRonald Akiliとクリエイティブを担当するJason Gunawanが創業しました。今年になって初めてホテルThe Katamama (ザ・カタママ)をバリでオープンさせ、今後さらにホテル事業を拡大するプランを打ち立てています。

 

ザ・カタママは、インドネシアで著名な建築家 Andra Martin (アンドラ・マーティン)が設計を担当し、シンガポールのデザイン会社 Takenouchi Webb (タケノウチ・ウェブ) が内装を手掛けています。インドネシアを感じることのできる洗練された空間で、今個人的にバリ島で最も行ってみたいホテルです。今後オープン予定のThe Kataoma(ザ・カタオマ)とThe Katamama Canggu(ザ・カタママ・チャングー)も建築界の巨人レム・コールハースが関わっており、どんなホテルができるのか非常に楽しみです。

 

 

3.    The Union Group

union

続いては、The Union Group(ユニオングループ)です。
ユニオングループのオーナーの一人であり、マーケティングとPRを担当するのはJennifer Karjadi (ジェニファー・カルジャディ)です。グループとしての創業は2014年ですが、ジェニファーは2006年に「CORK&SCREW」、2008年に「LOWEY」をオープンさせていきました。複数のシェフやワイン、クリエイティブの専門家、経営者などが加わり、ユニオングループは文字通り結合しながらグループとしての形を成して行きます。

 

例えば、東南アジア料理の提供する「E&O」はシェフWill Meyrickとのコラボレーションです。彼はバリ島で「Sarong」と「Mama san」を所有しています

 

「UNION」「The Dutch」「Bistecca」を立ち上げたのは、世界で最も稼ぐシェフGordon Ramsay(ゴードン・ラムゼイ)のレストランで修業を積んだAdhika Maxi(アディカ・マキシ)と、彼の妻でケーキ職人のKaren Carlotta(カレン・カルロッタ)です。夫婦でオープンさせた最初のレストラン、UNIONは超人気店です。最近ではユニオングループとは別で、日本食レストラン「Izakaya Kai」をオープンさせており、こちらもまた繁栄店になっています。

 

 

4.    Biko Group

biko

最後にご紹介するのはBiko Groupです。
創業者でありグループ会長を務めるMikael Mirdadは、1986年生まれで、今年30歳になったばかりの若手経営者です。大学時代に海外留学をしていたMikaelは、身近にビールが飲めるシドニーでの生活を楽しんでいましたが、ジャカルタに戻って気付いたのは、数少ない決められたレストランやバーだけでしか飲めないということでした。そこで最初に手掛けた飲食ビジネスが、2010年6月にジャカルタのKemang(クマン)オープンしたBEER GARDEN(ビアガーデン)です。ビアガーデンは瞬く間に成功し、2011年12月、2店舗をSCBDに出店します。その後、ビアガーデン以外のレストランも複数手掛け、2013年からBiko Groupとして成長を続けています。

 

彼らの手掛ける店舗で、特にユニークなのが、2015年12月にオープンした日本料理の「風神」です。バリ島で大人気の鉄板焼きレストラン「雷神」の姉妹店なのですが、ここの接客サービスが非常に面白いのです。私はバリ島の「雷神」で初体験したのですが、特徴的なのが「息ぴったりの挨拶」です。インドネシアでこんな体験初めてだ!と感動したのですが、朝礼で有名な某外食企業がすぐ頭に浮かびました(笑)。バリ島の「雷神」はKaminari Groupによって運営されているのですが、実はオーナーのRajawali Suriadiredja(ラジャワリ・スリアディレジャ)さんが元々その某外食企業で働かれていたようです。日本の接客サービスが海を渡って受け継がれているのは非常に素晴らしいことだと思います。ちなみに料理も凄く美味しかったです。「Tiger Prown Bloccoli Mayo(エビとブロッコリのマヨネーズ炒め)」と「広島焼き」がおすすめです。

 

 

いかがでしたでしょうか?
2000年代前半からポツポツとセンスの良いオシャレなレストランが現れ始め、2010年から一気に増えています。そして、そんなオシャレレストランにインスパイアされ、ジャカルタでもそれ以外の都市でもオシャレなカフェが増えてきている印象です。

 

ただ、最後に一言苦言を呈すると、個人的には味はまだまだかなと思っています。特に日本食の味です。ローカルには受け入れられているようですので、良いかもしれませんが、ハイセンス且つ食べ物も美味しいレストランの登場を期待して待っています。

インドネシアに進出する日系外食産業ヒストリー(大企業編)

私がジャカルタに来てから4年の年月が経ちましたが、長くジャカルタに住んでいる方に4年前と比べて大きく変わったものは?と聞いた場合、飲食店と答える方が多くいらっしゃるのではないでしょうか。

 

4年前とは全然違います。
例えばラーメン。私がジャカルタにやって来た2012年7月には、日本から進出しているラーメン屋は「まる玉(2010年5月)」「博多一幸舎(2011年6月)」
「山小屋(2012年1月)」とオープンしたばかりの「らーめん山頭火(2012年5月)」ぐらいでした。カッコ内はオープン年月です。今では優に20を超えるラーメン屋が日本から進出して来ている状況です。

 

また、最近では油ソバまで登場し、先週もショッピングモールのグランドインドネシア内にある油ソバ専門店の「山ト天」に行って来たのですが、平日昼間に行列ができる程の人気でした。4年前には考えられない味とバリエーションです。
%e5%b1%b1%e3%83%88%e5%a4%a9
平日昼間に空席を待つお客さんたち

 

肉の食べ放題もそうです。4年前は「ハナマサ」ぐらいしかありませんでしたが、今や「牛角」の焼き肉食べ放題や、元牛角創業者が展開する「しゃぶ里」でしゃぶしゃぶ食べ放題を楽しめます。しゃぶ里は、しゃぶしゃぶ食べ放題ですが、さんまの炊き込みご飯とかもあります。

 

 

ということで、前置きが長くなりましたが、本日はインドネシアの外食産業について、このままレポートして行きたいと思います。

 

 

この数年間、たくさんの外食企業がインドネシアへの進出を果たしましたが、その中で日本の大手上場外食企業も多くいらっしゃいます。
各企業の売上高を比較しながら紹介していきましょう。

 

2015年度ランキング(フードビジネス研究所より)
1位:ゼンショー(5,257億円)
3位:コロワイド(2,341億円)
5位:吉野家(1,857億円)
7位:ロイヤル(1,303億円)
12位:トリドール(955億円)
17位:モスフードサービス(711億円)
19位:サンマルク(660億円)
25位:壱番屋(440億円)

 

このランキング順に、各企業の進出年月日とパートナーについてまとめてみました。インドネシアでレストラン事業を行う際、つい最近の2016年2月11日に資出資規制が緩和されるまで、51%までの外資出資制限があり、現地のパートナーが必要でした。ですので、各企業、パートナーがいるケースが多いです。ちなみに、現在は外資100%でも可能です。

 

%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7%e3%82%a2%e3%81%ab%e9%80%b2%e5%87%ba%e3%81%99%e3%82%8b%e5%a4%a7%e6%89%8b%e5%a4%96%e9%a3%9f%e3%83%81%e3%82%a7%e3%83%bc%e3%83%b33
各パートナーですが、実は外食事業に特化している企業は多くありません。食品関連の企業もありますし、食と全然関係無い企業もあります。

 

 

■ゼンショー
日本の外食市場においてトップに君臨するゼンショー。ブロードキャスティングシステムやセキュリティシステムなどの販売を展開するSenjaya Group(センジャヤグループ)をパートナーに選び、北ジャカルタのベイウォークモールに「すき家」1号店をオープンさせました。2016年8月現在、ジャカルタとその周辺エリアで5店舗まで拡大させています。

 

■コロワイド
コロワイドグループの子会社、PT REINSMARINDO INDONESIAは、2015年6月20日にインドネシア1号店となる「しゃぶしゃぶ温野菜」をイオンモールBSD City内にオープンさせ、インドネシア進出を果たしました。同タイミングで、「牛角」3号店もイオン内にオープンさせましたが、既に出店している2店舗に関しては、2006年にスタートしたフランチャイズ店舗です。パートナーはキッチン衣類や食器具などの家庭用品を展開するMaspion Group(マスピオングループ)です。

 

■吉野家
吉野家は1994年にフランチャイズ形式でインドネシアに進出し、6店舗まで拡大したものの、アジア通貨危機の影響を受けて98年に撤退していました。再進出は、インドネシアFMCG業界大手のWings Group(ウイングスグループ)とタイの財閥最大手CPグループのインドネシア支社との合弁企業とフランチャイズ契約を締結し、2010年6月に1号店をオープンさせています。そして、2016年8月時点で55店舗まで拡大させるに至っています。

 

■ロイヤル
傘下のテンコーポレーションが展開する天丼・天ぷら専門店「てんや」は、インドネシアで「The Duck King」など人気の中華レストランを展開するAsia Culinary Inc PTE Ltd.(アジアカリナリーインク)とフランチャイズ契約を締結し、2014年7月、南ジャカルタ市内で初出店を果たしました。

 

■トリドール
地場の製粉大手PT Sriboga Ratu Rayaを保有するSriboga Group(スリボガグループ)とパートナーシップを組み、フランチャイズ契約を締結したPT SRIBOGA MARUGAME INDONESIAが2013年2月に「丸亀うどん」1号店をオープン。さらに、焼鳥業態の「とりどーる」も2015年5月にオープンさせています。パートナーのスリボガグループは、PT Sriboga Ratu Rayaを通して、2014年に「ピザハット」のフランチャイズを行うPT Sarimelati Kencanaを買収しています。

 

■モスフードサービス
2008年11月、現地で卸・小売業を展開するマスヤグループのPT Glory Sukses Selaras が70%、オリックス株式会社のシンガポールの現地法人が20%、モスフードサービスが 10%を出資して「PT. MOG INDONESIA(モグ インドネシア)」を設立され、翌月12月に、ジャカルタのショッピングモール「プラザ・スナヤン」にて1号店がオープンしました。マスヤグループは食品卸業で1989年に市原和雄氏によって設立され、1995年、日本食スーパーマーケット「papaya(パパイヤ)」をオープン。その後アジア通貨危機を乗り越え、現在食品総合卸業としてインドネシア全土に3万店以上の取引先を持つまでに成長しています。

 

■サンマルク
PT Marinata Boga Jayaとフランチャイズ契約を締結し、2015年12月、ジャカルタの高級ショッピングモール「Senayan City(スナヤンシティ)」に1号店をオープン。

 

■壱番屋
2013年12月、Warga Jaya Group(ワルガジャヤグループ)がインドネシアでのカレーハウスCo Co壱番屋の展開を目的に設立したPT Abadi Tunggal Lestariとフランチャイズ契約を締結し、グランドインドネシア)に1号店をオープン。

 

 

最後のサンマルクと壱番屋のパートナー情報が薄いのですが、理由は公開されている情報がほとんど無かったからです。日本であれば、上場企業や大企業であればすぐに情報を取得できますが、インドネシアでは全般的に情報公開が進んでいません。もちろんインドネシアでも上場企業であれば、公開の義務があり、財務諸表などを確認できますが、それは巨大なコングロマリット、所謂財閥グループの一部であるケースが多いので、その全体像をつかむことは非常に困難です。

 

だからこそ調べがいがありますので(笑)、引き続き調査、研究を続けて参ります。
本日以上です!

インドネシアの華麗なる一族たち④

山崎豊子著作の「華麗なる一族」では、財閥グループ発展のために息子娘たちを財界の有力者一族と結婚させる所謂閨閥戦略が作中にあります。インドネシアでもそれが戦略的であるかはさて起き、財閥同士で家族関係が作られているケースが多くあります。前回、ジャルムグループについてご紹介させて頂きましたが、今回はそのジャルムグループを起点に家族関係を見て行きたいと思います。

 

財閥関係図2

 

ロバートの長男のヴィクトールは2014年の3月に結婚をしたのですが、その相手はサリムグループの重役Benny Setiawan Santoso(ベニー・サントソ)の娘Amelia Santoso(アメリア)でした。披露宴にはアンソニー含むサリムファミリー、BCA社長のJahja Setiaatmadja、政界からはMS Hidayat産業大臣(当時)、ガルーダ・インドネシア社長(当時)Emirsyah Satarなど多くの財界人が集まりました。

 

次男のマーティンはウィングスグループ会長Eddy William Katuari(エディ・ウィリアム・カツアリ)の長女Grace Liviana Katuari(グレース・リヴィアナ・カツアリ)と結婚しました。ウィングスグループはライオンやファミリーマート、吉野家など多くの日系企業と合弁を組んでいることで有名で、会長のエディは2015年フォーブス誌の富豪ランキングでインドネシア17位に入ります。ウィングスグループとジャルムグループの関係は、2004年から始まったインドネシア最大級のショッピングモール「Grand Indonesia(グランドインドネシア)」建設プロジェクトで急接近したと言われており、同プロジェクトはグレースが会長、ハルトノファミリーのTessa Natalia D. Hartonoが社長を務める共同事業です。

 

続いて、ウィングスグループをもう少し掘り下げて行きましょう。エディにはグレース以外にも3人の娘がいます。

 

■Jane Stephanie Katuari(ジェーン・ステファニー・カツアリ)
彼女はプランテーション事業で上場をしているPT Gozco Plantations Tbkの副社長Kreisna Dewantara Gozali(クレイスナ・デワンタラ・ゴザリ)と結婚しています。クレイスナの父親Tjandra Mindharta Gozali(チャンドラ・ミンドハルタ・ゴザリ)が同社で社長を務め、他複数企業の会長職・社長職を兼任し、現在のゴズコグループを取り仕切っています。

 

■Erlin Katuari(エルリン・カツアリ)、Widya Katuari(ウィディヤ・カツアリ)
彼女はタイの最大財閥CP(チャルーンポーカパン)グループ会長の甥であるBenjamin Jiaravanon(ベンジャミン)と結婚しました。ベンジャミンは現在、CPグループインドネシアの社長を務めています。2009年にウィングスグループとCPグループは吉野家のインドネシアでの店舗展開のために、合弁でPT Multirasa Nusantaraという会社を設立しており、社長にはカツアリ4姉妹の1人、Widya Katuari(ウィドゥヤ・カツアリ)が就任しています。

 

 

これらはインドネシアにある数多くの財閥のほんの一部ですが、今回登場したジャルムグループ、サリムグループ、ウィングスグループ、ゴズコグループ、そしてタイのCPグループ、全て華僑系財閥です。東南アジア経済における華僑系財閥の力は絶大ですが、血縁関係を結び、さらにネットワークが強化されている印象です。

 

 

参考:
インドネシア経済を支配する財閥グループたち(2013年版)
インドネシア経済を支配する財閥たち(2014年版)